人体発生学
ひとも、細胞からできています。
まずは、2つの細胞のドッキング。
それが重なり、いまの自分の姿へ。
2つの細胞は、いくつまで増えてゆくのか。
2つからはじめて、細胞分裂。
まずは、4つになり、8つになり、16こに。
やがて1億をこえ、100億でも増えつづけ。
そして、1兆、やがて37兆個ほどで完成、と。
もう、数の感覚には、ついてゆけません。
まずは、そのうちの、ひとつの細胞。
これは、「張力」でかたちづくられた立方体構造です。
おたがいの柱、おたがいの面がつり合い、形を保つ。
その原則は、いくつに増えても、同じです。
増えれば、増えた細胞間にも、新しい張力が生まれてゆく。
張力のキセキ
ひとの張力の完成形。
それが、オンギャーと生まれたときのカラダです。
カラダの各部が、ピンと張りあって、カラダをつくる。
その結果、胴体があって、頭があって、手足がある。
同時に、張力は、カラダのバランスを保ちながら、動きを生みだす。
植物にはない、独特の張力の発現。
張力の作用の流れは、見事というほかはありません。
まさに、神のつくりたもうたキセキ。
ロボットには、決してできない芸当です。
そもそも、ロボットには、張力という概念はないのかも。
その点からも、人間とはまったく異なる構造体です。
そうです。
わたしたちは、みな完成された張力を身につけて生まれました。
この地球上を、自由に動くために。
張力が、動きを生む。
みごとな動きは、野生動物専属ではなかったのです。
張力の試練
野生の中でくらしていれば、ひとも野生を保っていたかもしれません。
もちろん、張力をふくめてです。
ところが、人間は、工夫を考えて次に残す知恵をもちました。
その結果、くらし方が、どんどん変わってゆきました。
たとえば、衣類。
この発明により、外気との関係のもち方が、変わりました。
たとえば、クツ。
この発明により、移動の感覚が、変わりました。
そして、車や電車や飛行機。
これらにより、移動方法が、まったく変わりました。
電話やSNS。
もう、すわったままで、用が足せます。
家庭家電。
家の中の動線もが、おおきく変わっています。
おやおや、これらに共通するもの。
「快適」さと「動かなくてすむ」方向をめざす。
つまりは、「張力」の出番を減らしてゆくものばかり。
快適生活の中で
動かなくても、快適にくらせる、ひとのくらし。
これが、現代人の生活です。
野生動物が、太古から、ほとんど変化のないくらしを送っているのとは、月とスッポンです。
動かなくても、くらせる。
カラダへの緊張感が、不要。
その結果は、「張力」の出番が減ってきている、ということです。
張力に頼らないくらし。
頼らなくても、くらせるよ。
弓は、いることで、その張力を維持するといいます。
張力は、使ってこその力。
人間にそなわっていた張力は、出番が、どんどん減っています。
その結果、どうなっているでしょうか。
それは、張力を使いたいときに、十分使えない、ではないでしょうか。
張力が、さびついてしまっている。
具体的には、スムースに動けない。
そりゃ、うまくカラダが張ってないんだから、スムースさはむつかしいでしょう。
だから、かたくなる。
そして、痛くなる。
そして、こんな状態で走ったら、どうでしょうか。
張力のバランスは、さらに乱れます。
あーあ。
張力の再発見
弓は、張りがなくなった時点で、役目がなくなってしまいます。
張力あっての弓。
人間も、似ていませんか。
カラダが、思うように動かない。
それを「さびついた」と表現されることがあります。
「かたくなっている」と。
究極は、「拘縮」なんて表現されることがあります。
これは、年をとったとき、だけではありません。
キンチョーしたときだって、どうですか。
かたくなる。
かたくなってしまったカラダ。
これを、どうしましょうか。
「脱力」でしょうか。
「力をぬけ」でしょうか。
「弛緩」でしょうか。
これって、せっかくの張力を手放すことにならないでしょうか。
究極の脱力は、人間のスライム化。
(けっこうな独断ですみません)
よい張りを、とりもどす。
張りのバランスを、整える。
張力がはりめぐらされているカラダつくり、ではないでしょうか。
脱力よりも、よい張力をはりめぐらせよう。
生まれたとき、カラダは絶妙な張力がはりめぐらされていました。
その感覚に、近づく工夫。
きっと、動きの質が、かわってくれるはず。
カラダの感覚が、生まれかわるはず。
疲れだって、ひいてゆかないかな。
弛緩より バランスとれた 張力を
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