張力でみる人体

重力から

 

植物は、重力とつり合いをとって、生きています。
たとえば、1本の木。

幹は、重力に抗して、上へとのびます。
根っこは、重力に向かって、下へとのびます。
枝は、重力とバランスをとって、横にひろがる。

ですから、幹を横に傾けると、重力の法則にのっとって、曲がってゆきます。

地球上に存在するものは、すべて重力の影響を受けています。
重力ぬきの、例外はありえません。

もちろん、動物だって、同様です。
重力の中で、生きています。

という考えで、思考停止をしていなかったか。
という考えで、多くを判断していなかったか。
という考えで、大切なものを見ていなかったのではないか。

と、つくづく思います。

 



 

カラダにはたらく力

 

人間のカラダは、立体構造です。
いまはやりのコトバでいえば、3D構造。
タテ、ヨコ、ナナメ。

そして、カラダの構造は、いつも同じに保たれています。
立つ姿。
横になる姿。
歩いている姿。

こまかなことを無視すれば、どの状態でも、同じ構造です。
スライムみたいに、クシャーと、つぶれたりはしない。

力を入れれば、筋肉がふくらむ。
息をすえば、胸がひろがる。
そのくらいの変化はみられますが、基本構造はたもたれています。

ですから、どんな格好でも、見分けがつきます。
横になったら、重力で、ペシャンコになるなんてありえません。
寝ている姿は、ヒラメです、なんてことはない。

その基本構造を支える主力は、何でしょうか。
これこそが「張力」です。

ある意味で、重力に負けまいとする力。
重力のなかで、独自に働いている力。

 



 

アシの裏が痛い

 

人間には、200個ほどの筋肉がある、といわれています。
いわれている。
そんな他人行儀な表現になるのは、わたくしの知識に自信がないからです。

たぶん、そのくらいだったよな。
むかし、そんなふうに習った(かもしれない)。
でも、もう忘れました。

知らなくても、生きてゆける。
ところが、走る世界にふれて、筋肉の名前をふたたび耳にするようになりました。
たとえば「足底筋」。

場所は、なんとなくわかります。
足の裏だろ。
ま、その程度の知識です。
知識といえるか?

その足底筋の障害で悩まれているランナー、少なくないようです。
走ると、アシの裏が痛くなる。

治療法は?
よくなるのを待つ(安静)。
対処療法は?
痛み止め。

うーん、コレでいいんでしょうか。

 



 

よっしゃ勉強

 

ひさしぶりに、解剖学系の本をひらいてみました。
運動器疾患の「なぜ」がわかる臨床解剖学
工藤恒太郎先生編、医学書院。

ちゃんと足底筋の痛みの章もあります。
立派な解剖図も、のっています。
メジャーな障害なんです。

うーん、なるほど、タメになる。
といえるのは、どんな読者でしょうか。

わたくしの場合は、「なんだかよくわからんな」。
白旗をあげる、というんでしょうか。
すみません、難易度高すぎです。
ネコに小判、ブタに真珠、ワタクシに専門書。

ただ、気になったことがひとつあります。
足底筋の痛みの章にでてくる話題は、足です。
せいぜいが、アキレス腱までの話だし、解剖図なども足。

これで、すべての解決がつくのかな。
人体の大切な力は、どうなっちゃっているんでしょうか。
つまり「張力」です。
なかなか、張力ってコトバには、出会えません。

やはり、マイナーな発想なのかな、張力。

 



 

張力やーい

 

人体が、人体構造として、まとまっている条件。
これは、アタマの先から、アシの先までが、ひとつの張力で保たれていること。

つまり、アシの裏の張力は、オナカにも、胸にも、首にも、つながっている。
手の指の先まで、つながっている。
もちろん、アタマにまで、つながっている。

カラダ全体が、1本の弓のよう。
そんな表現をしても、いいんじゃないでしょうか。
ちなみに「1」と「本」をつなげて、「ノ」の字を加えると、「体」という字になります。
「ノ」は、弓矢の弦です。
だから、何だっちゅうの、といわれても、こまりますけど。

いえ、コトバの遊び。
遊びは大事ですよ。
遊びすぎですか。

という発想でゆくと、足底筋の痛みは、アシの裏だけの問題ではないかもしれない。
カラダのの緊張(張力)に、過度の負担がくわわっておきた結果。
それが、たまたま、アシの裏に強くでただけ。

根本は、カラダ全体に張っている力のバランスが保てなくなった結果の障害なのではないでしょうか。
アシの裏、という閉ざされた場所の、個別の筋肉の問題では、ないのじゃないでしょうか。

ですから、張力バランスを考えてゆくこと。
というのが、故障からの脱出の、大切な発想法になりませんか。

つまり「足底筋」の障害といわれて、足底筋ってどこ、って筋肉さがしの方向へばかり目をむけない。
アシの裏の張力は、どう上がってきて、オシリから背中を通って、どのように手や頭につながっているのかな?と考えてみる。

この張力が張りすぎないような動作を考えてみる。
張りすぎないような歩き、そして走りを工夫してみる。

張りすぎなければ、傷まない。
張りすぎなければ、動ける。
だったら、この動作のほうが、自分には張力に従った動きなのかもしれない。

それがいいのか、悪いのか、はわかりませんけど。
わたしは、それこそが「自然」な動きなのかと考えちゃいます。

つまり、動作の自然さは、張力の自然さに宿る。

足底筋を痛めてしまったチーターさんも、見てみましょう。
って、いませんか?
そもそも、チーターさんの足底筋って、どこにある?

 



 

たーさん
なめんなよ 生きる力じゃ ツッパリ人生

 

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