健康の道

覚えきれません

 

「思いつかない病名は、診断できない」
こういう有名なコトワザがあります。

病気やケガの診断をつけるのに、その病名やケガ自体を知らない。
あるいは、それが思いうかばない。
こんな状況では、ちゃんとした診断は無理でしょう。

あるいは、診断名はあがるのに、しっくりとこない。
なんか、ちがうんだよね。
こういう感覚をもつこともあります。

病気やケガの概念は広いので、すべてがすんなりとまとめきれないんですね。
ひとによって、あるいは状況によって、さまざまな症状の出方や感じ方もありますし。

その結果、つい「知っている病名」でケリをつけてしまう。
そして、病名がつくことで、ひと段落ついてしまった気分になる。
まだ、肝心の解決にいたっていなくても。

病名がつかないと不安、ですから。

でもそんなことじゃ、いけない。
ちゃんとした病名診断名が必要だ。

そのために勉強、おこたるべからず。
では、いったいどのくらいの病気を知っていれば安心でしょうか。
5千こくらいですか。
いや、それじゃ心もとない、最低2万こくらいは。
病気の数は、キリがない。

向上心、すばらしいですね。
ところで、わたくしの場合は、数十こくらいでしょうか(苦笑)。
いやはや。

 



 

診断のつかない病気

 

一方で、どんな名医にしても、診断しがたい病気、というのがあります。

たとえば「耳なり」。
静かになると、キーン。
耳鼻科の検査では、往々にして、めだった異常はでてきません。
なので、原因も、診断も、よくわからない。
「あまり気にしないことですよ」。

たとえば「腰痛」。
CTやらMRI検査でも、血液検査でも、切り札となる異常がでてこない。
しいていえば、骨がすこしゆがんでいますかね。
年のせい、もあるんでしょうか」。

とくに「痛み」は、いろんな場面で、いろんな個所にあらわれます。
なのに、なかなか異常としては、つかみきれない。
異常をみつける。
異常から、切り込む。
そういう王道が通用しにくい部門です。

現代医療の、ひとつの盲点でしょうか。
「そんなに、悪い所見はみられませんよ」
「でも、痛むんです」
「あまり、深刻にとらえすぎないように」。

なかなか期待にこたえてもらえない。
かくして、「次のところ」では真実にめぐりあえるかもしれない、と回遊がはじまったり。
あるいは、だんだんと「ココロ」の病にシフトしてゆく。

 



 

病気からはなれて

 

あらためて、病気とは何でしょうか?
病名とはなんでしょうか?

じつは、人間がつくった「概念」じゃないでしょうか。
そういう状態にいる患者さんを「シカジカ病」と名づけましょう、と。
そして、境界線の線引きをする。
ここに入ったら、その病気。

境界線をつくって、その中にはいる病名をつくる。
この作業は、いまも粛々とおこなわれています。

その結果、新しい病気がいまも生まれつづけています。
新しい病気ができれば、新しい薬も生まれますしね。

わたくしは、そろそろそういう世界からは、足を洗いたい。
現代医療に、ついてゆけなくなっていますし(昔からですか)。

ということで、「病気」からはなれて、「健康」にたち帰ってみたいと思っています。
「健康」状態とは、どういうことでしょうか。

むつかしくは、考えません。
つつがなく」くらしてゆける心身の状態。
それを、健康な状態といっておきます。

ランナーであれば、「つつがなく」走れている生活です。

ひとつのイメージ作りをしておきます。
たいらな大地がひろがっています。
その中を、1本のまっすぐな道が走っています。
その道を、たんたんとすすむ。

この状態を、健康状態としておきたいです。
つつがない日々をおくれる道です。
この道の名前も欲しいです。
つつがなき道」としておきます。

つまり、「つつがなき道」を、つつがなくすすんでいる状態。
これを、健康のイメージとしたいです。

 



 

道はつづくよ、どこまでも

 

道は、つづいています。
どこまで、つづいているのか。
自分の人生の終点まで、です。

ふつうは、まっすぐな道で、何事もなくすすんでゆけます。
ところが、いつもいつも、同じ表情というわけにはまいりません。

ときには、わきの道に迷って入ってしまうこともあります。
すると「つつがなき」生活に、多少の波乱がみられてきます。

あるときは、熱が出て、節々の痛む道に入りこむ。
あるときは、足くびをひねって、痛くてうまく歩けない道に入りこむ。
あるときは、便がつまって、苦しくなる道に入りこむ。

ただ、さいわいなことに、これらの道は長くはつづかない。
やがて、いつもの「つつがなき道」にもどってくる。
そしてまた、いつものくらしへ。

わたしたちのカラダには、そういう「迷いこんだ道」からもどれる力がそなわっているんですね。
生命力とか、自然治癒力なんてよばれることもあります。

 



 

つつがなしや

 

つつがなき道」を、きょうも、つつがなく歩いてゆく。
そういう旅のイメージ。
それが、健康です。

その結果、日々のいとなみをおくれる。
その結果、走りもたのしめる。

こういうイメージは、いかがでしょうか。
もちろん、そのためには、日々の道の管理も大切になります。
荒れはててしまったら、歩んでゆくことは困難です。

といいつつ、だんだんと道も荒れてきました。
せまくもなってくる。
坂がふえてくる。
なにより、歩むスピードが低下してきている。
それでもまだ、なんとか「つつがなき」道がある。

でも、「つつがなき道」を、おおきく踏みはずすこともあります。
それが、健康でない状態、ということです。

どんな「迷い道」が、人生という道に、枝分かれして待っているのか。
それこそ、無数にあるのか。
いつ、迷いこんでしまうのか。
そして入ってしまったら、どう抜けだせばいいのか。

そういう発想で、病気やケガをみられないかな。
いがいと役にたつ見方だとおもうんですが。
(つづく)

 



 

たーさん
つつがなき 道ゆく先に まつ分かれ

 

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