おおきく、出ました
たまには、おおきなテーマにぶつかってみたい。
生命の基本原理、なんてどうでしょうか。
生命の、っていうくらいですから、生きてゆくうえでの基本原理のことです。
生き方の道。
こういうのが、生き方なんですよ、みたいなもの。
日本で生まれ育つと、けっこう生き方のレールが敷かれています。
赤ちゃん時代の定期検診、定期接種から始まり。
義務教育への流れ。
そして、就職、結婚。
いまは、年老いても、なんとか年金制度が機能しています。
そう、すべての世代を支える社会保障。
レールにのっていれば、ひとまず安心。
最低限の生きる権利を、法律でも見守っています。
それが、今の日本です。
でも、そういうものから、少し離れて考えてみます。
生きてゆくのに一番必要なものは何か。
これって、走ってゆくことにも、通じてはこないでしょうか。
タマバチの生き方
タマバチというハチがいます。
ふつうのアリより小さい、っていいますから、相当に小さい。
それでも、ハチとして生きています。
このタマバチの生態をずっと追ってきた研究者がいます。
アメリカのキンゼイ博士。
全米中を歩きまわり、いやになるほどのタマバチを採取して調べる。
顕微鏡もつかって、さらに調べる。
いったい、何匹のタマバチか、もうわからない。
そこからえた、一番おおきな結論。
「ひとつとして、他と同じタマバチはいなかった」
みんな、ちがう。
ちがうことが、生命の本質ではないか。
アリの半分のおおきさしかない生きものなのに、ひとつとして同じなのがいない。
やがて、これは確信にかわります。
「ちがっていることこそ、生命の基本原理」
ありのままに
みんな、ちがう。
ただ、この結論は、タマバチを外から観察したキンゼイ博士の見解にしかすぎません。
タマバチは、そんなこと考えたこともないでしょう。
ちがいを意識してくらしているわけでもありません。
ただ、自分のありのままに生きているだけ。
このことに気づいたキンゼイ博士は、こんどは観察の目を人間に向けてゆきます。
すると、人間よ、おまえもか。
みよ、この多様性。
とくにキンゼイ博士が目をつけたのが、人間の性でした。
多様な、性のありかた。
それを赤裸々に公開してゆきました。
しかし、時代がついてゆけません。
世の、いわゆる理性ある、といわれるひとたちからの、モーレツなバッシング。
キンゼイレポートは、とんだヘンタイ報告、というレッテルへ。
しかし、キンゼイ博士は、負けませんでした。
正しいことが、のこる。
観察者は、強い。
そして、新しい一歩をのこす。
キンゼイ博士に、いまの時代を、見てもらいたかったなあ。
観察の強さ
じっと自分の目でみてゆくこと。
この場合、「見る」だけじゃ、足りないかもしれません。
漢字には、「看る」というのもあります。
目の上に、手をのせて、じっとのぞきこむ、という象形文字。
自分の走りを、看てみます。
ま、そのままじゃ、看にくいかもしれませんが、イメージも使って。
福岡国際マラソンで、先頭を走っているランナーとは、まったくちがう走り方です(笑)。
箱根駅伝で、区間賞をねらうランナーとも、ゼンゼン似てません。
そもそも、迫力がちがう。
根性がちがう。
シューズもちがう。
ピンクの厚底シューズ、持ってません。
というか、ランニングシューズを持っていなかった。
下駄箱にあるのは、ワラーチ、ワラジ、地下タビの3種だけ。
これで、ダイジョーブか。
そこで、キンゼイ博士のおことば。
「ちがっていることに、おそれをもつ必要はない」
さて、さて
ひとと、ちがっていること。
別に、それをめざしているわけではありません。
長く、いつまでも、走っていたい。
そう思うなかで、いま通過しているスタイルが、コレなだけです。
ランニングシューズがわが家から消えて、もう5〜6年以上たつでしょうか。
あるいは、もっと。
以降、おおきなケガもなく、朝の走りや、レースを楽しめています。
大地に触れる感触が強まったぶん、走り方も、すいぶんと変わってきています。
大地から、教えてもらうことも多い。
これって、まさしく「飛脚走り」じゃん。
かたちはちがえど、感触は、そうだろうなあ。
そういう観察、観察、観察。
自分自身の走り方の、観察。
小学校の、夏休みの観察日記の気分。
そして、観察に、終わりはありません。
だって、観察って、楽しいじゃん。
ちがって、悪いか。
それが生命の基本原理なら、走り方も、生き方も、そういうのがあっていいのかもしれません。
ちがって悪いか。
それとも、メジャーになれない、ヒガミかな?
ちがいこそ 生きてるあかし わが道をゆく
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