エール
きょうは、老年期に入ったワタクシから、そうじゃない方へのエールです。
老年期は、まだまだ先。
それは、おめでとうございます。
若さを、堪能してください。
先は、長い。
だから、まだ老年期なんて、考えなくていい。
はい、その通りです。
老年期に足をつっこんでいなにのに、老年期の心境を考えて、ということ自体に無理もあります。
くわえて、そんな心境になれません。
わたくしの若いころが、そうでしたし。
でも、多くのお年寄りと出会うようになって、ちょっと考えがかわりました。
くわえて、いつのまにか、自分自身がその一員となっていました。
そして、思います。
老年期の生き方を知るのは、あんがい、参考になりますよ。
知らないのは、もったいないですよ。
いずれ、入ってゆく道ですし。
世の中には、「中心原理」みたいなのがあります。
たとえば、太陽は東からでて、西にしずむとか。
地球上ならば、どこでくらしても、かわりません。
だから、中心原理です。
ですから、家のつくりは、それにあわせる。
家の向きとか、窓の大きさとか。
では、人間の、というより、自分の「中心原理」は何でしょうか。
むつかしくは、ありません。
だって、老年期に入れば、いやでも見えてきますから。
まずは、人間性から
人間性からいうと、老年期にはいると、そのヒトの「本性」が出てきます。
人間は、社会的な生きものです。
くらす社会や時代で、いろんな「ヨロイ」をまといます。
知識を、身につけます。
生き方を、身につけます。
そして、ある程度の社会性を、身につけます。
ガマンしなくちゃ、いけないものがふえてきます。
でもそういう身にまとってきた一つひとつがはがれてゆく時期。
それが「老年期」です。
はがれて、あらわになってゆくもの。
それが、そのヒトの本性です。
それを、生き方の基本原理といってもいいかと思います。
ミエッパリは、しっかりミエッパリになる。
ガンコは、しっかりガンコになる。
スケベは、よりスケベになる。
ヨクバリは、よりヨクバリになる。
この変化、身に覚えはありませんか。
けっこう簡単に、擬似体験はできます。
そう、オサケです。
アルコールは、身にまとったヨロイを、1枚1枚はがしてくれます。
そういう薬理作用があります。
ヨロイがはがれてゆくから、気持ちよくなる。
そして「地」がでてくる。
つまり、本性です。
じぶんの本性は、どんなものか。
どんな人間だったのか。
オサケを飲めば、わかります。
体力のヨロイ
カラダのヨロイも、はがれてゆきます。
落ちる、のとはちがいます。
体力の場合、ヨロイは、「恒常性」ともおきかえてもいいでしょう。
きのうと同じ体力が保障されている時期。
それが、そう壮年期です。
ヨロイ、つまりは恒常性が、しっかり守ってくれています。
ですから、いくら疲れても、休めばもどれる。
特別な気遣いなしに、体力は維持できる。
ところが、年とともに、そんな恒常性は失せてゆきます。
具体的には、どうなるか。
きのう使った機能は、今日も使える。
逆に、しばらく使わなくなった機能は、使えなくなる。
コレです。
逆もいえます。
きのう使いすぎると、今日に悪影響をあたえる。
今日の悪影響は、明日にもつながってゆく。
ですから、自分自身で、うまく調整してゆかなくてはなりません。
それを「手動運転」状態といいましょう。
壮年期は、「自動運転」時代だといいました。
勝手に身体をコントロールしてくれる。
この質的なちがいを、自覚したいものです。
老年期の基本原理
2つ、あげさせてもらいました。
ひとつは、年とともに、「本性」がでてくること。
抑えがきかなくなってくる、です。
というおり、きかせなくてもよくなる、と表現ができます。
もうひとつが、身体が「手動運転」になること。
ですから、運転次第です。
田舎でくらしていると、畑で元気なお年よりに出会います。
なんで、そんなに元気なの?
もう、理由は、おわかりですね。
野良作業が楽しい(生きがい)。
今日も、畑でがんばるぞ(多彩な身体的な動き)。
人生のお手本です。
ところで「本性」は、ひとさまざまです。
「欲」や「権力」に目がなくなる方もおられます。
本性が「欲」と「権力」。
いま、そういうご老体が、日本の政治を支配しています。
政治は、「欲」や「権力」を手にできる、かっこうな舞台ですから。
政治がかわらない。
でも、変えなくちゃいけない。
無理、ですね。
そういうヒトが居座っている限り、変われるわけがありません。
そういうヒトを選ばなくしない限りは。
そのための選挙です。
若いヒト、たのみましたよ。
あらためて、考えてみる
自分の「本性」って、なんだろう。
「手動運転」って、具体的には、どうしたらいいんだろうか。
まだ、ガマンがきく。
無理しても、自動で補正してくれる。
そういう老年期の前の時代に、いずれくる未来を考えるのは、悪くはないと思います。
でも、自分の「本性」がよくわからない。
本性は、ココロの奥底につながった感情です。
ジーン、ときたもの。
ココロ、打たれたもの。
じぶんは、どんなものに、感じ入れるのだろう。
そして、「手動運転」の本質は、マニュアルなし、ということです。
自分でつくってゆくもの。
どんな走りを、自分のカラダはよろこんでくれるのかな。
いろいろ工夫をしてみる。
いがいとカラダの使い方で、走りは変わりそうです。
この2点、老年期に入る前から考えたら、人生が深まりませんか。
人生の 真価が出てくる 老年期
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