みちのく津軽ジャーニーラン(142k)、お先まっくら?

第1チェックポイント(22,5キロ)まで

 

午後3時、というヘンな時間に、レースはスタートしました。
弘前市の「さくら野百貨店」前の広場です。
ここをでて、グルリと時計回りに一周して、ここにもどる。
迷い子になるハズのないコースです(なんちゃって)。

142キロの間に、7つのチェックポイント兼エイドを通過します。
つまり、エイドの数は、142キロの間に、7つだけです。
1番目のチェックポイントは、「獄温泉」22,5キロ地点です。

つまり、そこまでの途中に、エイドはありません。
約ハーフ1本分。
必要なものは、持ってゆくか、途中調達です。

町なかを数キロ走ると、弘前城内に入ります。
さすがに広いなあ。
桜の有名なところですね。

「城をぬけるまでは、人通りもあります。
なので、スピードは出さないでください。
最初の5キロの区間は、スタッフが先導します。
キロ6分で走るので、おい抜いたら、失格です」

そういわれた先導者は、はやばやと見えなくなります。
超スローペースですすみます。

城を出て、最初のセブンで、いくつかの食料を調達。
コースにもどると、ランナーとスタッフの2人連れ。
「ここが最後尾になります」
ふーん、まだまだ先は長い。

10キロをすぎると、岩木山のふもとに、とりつき始めます。
のぼりが少しずつきつくなる。

小雨模様となってきました。
雨が、夕げをはやめてゆきます。
薄暗さがますころ、獄温泉エイドに到着。
午後6時25分、と意外に時間がかかってます。

オニギリや果物をいただいて、夕食完了。
それで充分でした、コンビニ調達食料は手をつけず。

そして反射板や、ヘッドランプを装着します。
雨足は強まってきましたが、レインコートは考えて、パスしました。
約15分ほどの時間経過。

さあ、これから夜間走の部へと突入です。

 



曇り空の下、いよいよレースははじまりました。

 



弘前城に分け入ってゆきます。

 



いくつもの門があったり、広い城です。

 



弘前城をぬけると、一路、西へとむかいはじめます。

 



途中の、おおきな神社。ここまできたら、神様がたより。

 



ヒーハーと、岩木山のふもとをのぼりはじめます。

 



獄温泉エイドは、シンプルですが、オナカにやさしいものばかり。

 



さっぱりとしたソーメンが、喉ごしにやさしい、アーメン。

 

第2チェックポイント(49,6キロ)まで

 

さあ、次の区間は、27,1キロ先の日本海拠点というところまで。
一気に、海までです。
暗闇にはいってゆきます。
コースは、山道がつづきます。
途中、コンビニなし、自販機もないよ、という情報があります。
ハラをくくって、すすみます。

くわえて、前後のランナーがまばらです。
総勢100名ちょっとですから、仕方のないことです。
車の往来もまずありません。

のぼり、くだりでスタート。
やがて、くだりが増えてゆきます。

雨足は強まったり、弱まったり。
山道なので、街灯もありません。
視界からランナーが消えると、真っ暗闇の世界です。

視界も、急になくなってきました。
アレレ、メガネがくもったのかな。
メガネをはずしてみても、ぼんやりです。
強いが舞ってきていました。

そのため、道の脇がわかりにくい。
ときおり、水たまりに、ワラーチ足を突っこんでしまいます。

ゆいいつ、ボンヤリと確認できるのが、センターライン
つい、センターラインよりに立ってしまいます。
ついにセンターか。
AKB48の気分です(古すぎ)。

前にランナーが見えてくると、ホッとします。
しばしば並走させていただきます。
おたがい、不安な夜道。

にしても、青森まで来て、漆黒の山道を走ってゆく。
景観ゼロ。
本降り。
いったい、何が楽しいのか、っていうか。

やがて人家がポツリ、ポツリとあらわれてきました。
夜も更けて、人通りも、車も通りません。

急に、潮のかおりがただよってきました。
日本海拠点という、夜なので全貌のつかめないエイドに到着。
午後10時45分。
ここが最初の関門で、その時間は午後11時です。
けっこう、ギリな到着。
ここに着く手前にローソンがあることは、調べてありました。
でも、そこによる余裕はなし。

汗でなく、雨で全身ずぶ濡れ。
いがいに、寒いです。

そこでカレーをいただき、元気をふるい立てます。
約10分の時間経過。

 



暗くなりかけると、雨が本格的になってきました。以後、しばらくは闇走。

 



第1関門けっこうギリで、なんとか日本海拠点という謎の場所に到着。

 



疲れたカラダには、ちょっとカラめのカレーが胃にやさしい。

 

第3チェックポイント(67,7キロ)まで

 

次の区間は、18,1キロ先の、亀ヶ岡遺跡です。
青森は、遺跡の宝庫なんだとか。

この区間のポイントは、5,5キロ先にあるローソン
そこの交差点を左にとる、のだそうです。

夜間なので、まわりの景色がさっぱり読めません。
地図はあるのですが、やはり読みにくい。

ところで、ハタとこまりました。
日本海拠点エイド、ここから出るランナーがいないんです。

ランナーは、います。
いますが、ドッカリ腰をおろして、動こうとはしません。
あるいは、すでに行き倒れている(お連れのランナーだったんですが)。

「アッチでいいんですよね」
いちおうスタッフに方向だけ確認して、ひとり闇の中にスタート。

波の音が耳にとどいてきます。
道はゆるやかな、のぼりとくだりの繰り返し。
昼間だったら、どんな光景が見えているのかな。

いえ、見えないのは景色だけじゃありません。
とにかく、ランナーの光がまったく見えない。

ルートは大丈夫かな。
分かれ道にさしかかると、不安で立ちどまってしまいます。
というのも、なかなかローソンが出てこない。
道をまりがえてはいないか、不安がつねにつきまといます。

遠くに、ローソンらしき灯りが確認できたときには、ホッとしました。
ローソンの駐車場で、ついにひとりのランナーと出会えませんでした。

ローソン前に、ひとりのランナーが腰をおろしている。
それだけの光景にやすらぎました。
が、ぼくが着くや、「じゃ」といって立ちさっていってしまいました。

ふたたび孤独走
真っ暗闇の小雨の中を、トボトボと北上するのみです。
次の亀ヶ岡遺跡エイドには、関門時間はもうけられていません。
通過時間を記載するチェックポイントだけです。
そして、「エイド」の開設時間は、深夜1時30分まで、と記載されています。

時間は、すでに午前2時をまわっています。
なのに、いっこうにエイドは現れてきません。

ようやく、午前2時20分にエイドに到着。
まだ、エイドを閉じずに待っていてくださっていました。
ありがたさに、つめたい雨も、忘れました。
約10分の息抜き。

 



しばらくつづく孤独走。街灯がきれると、真っ暗闇。

 



ローソンで、ふだんは決して口にしないご利益飲料をゴクリ。

 



亀ヶ岡遺跡エイド手前で威嚇している巨大オブジェ。

 



まだエイドを閉じないで待っていてくれました、ありがとう。

 

第4チェックポイント(83,0キロ)まで

 

次の区間は、15,3キロ先の津軽中里駅です。
ここが2番目の関門時間設定場所。
といっても、急ににゆるくなり、午前8時です。

亀ヶ岡エイドをでてしばらく走っていると、前にランナーの灯りがみえてきました。
やがて4人ほどになり、おたがい前後しあいつつの展開になりました。

そのうちのひとりは、同郷の黄門さん(見た目通り)。
いろいろとお話もまじえて、たんたんと進みます。
やはり、ひとりじゃないって、心強い。

この区間も、一カ所、ルートを右にきります。
ただそのポイントは、さきのエイドでしっかり目印を教えていただいています。
たぶん、大丈夫。

その曲がるポイント、そのまま前に進もうとしている2人組ランナーがいました。
こっちだよ。
少しずつ、お仲間がふえてゆく。

ルートを東にむけます。
足もとが、すこしずつ見えてきました。
やがて、頭上の空にうっすらと色がうまれてきます。
夜のあいだ中、ずっと走り通してきたのだね。
気がつくと、広い広い田んぼの中の1本道

同時に、カラダが重くなってきました。
アシがなかなか前に進まない。
歩くようなペース。
夜なべ走りは、疲労度も深夜加算がくわわるのでしょうか。

中泊町に入って、おおきな店も見られてきました。
80キロをまわって、ローソンに入ります。
店先のベンチにドッコイしょと腰かけ、しばしボウっとする時間。

どのくらい腰かけていたでしょうか。
ハッとすると、25分ほどたっていました。
しばし意識がモーローとなっていたようです。
重くなったカラダをあげて、次のエイドへと向かいます。

そろそろ限界かな。
ヨロヨロと、津軽中里駅をみつけ、駅舎に入ってゆきます。
お店のスペースがあって、そこがエイドとなっていました。

おにぎりと、くだもの。
定番を、少しいただきます。
そしてスタッフの方としばしの談笑。
約10分間。

ちょっとだけ、元気が芽ばえたようです。
お礼をいって、駅舎をでます。
走る前の皮算用では、ここを午前6時には出発したい。
そして現実には、6時前に出発できて、まだ少し余裕があります。
なんとか、つないでいる。

 



少しずつ、夜明けがはじまってゆきます。

 



ついに第2関門に到着。すでにヨレヨレ。

 



しかし、エイドのおもてなしで、少しずつカラダが目覚める。

 

第5チェックポイント(91,1キロ)まで

 

次の区間は、8,1キロ先の金木町観光物産館までです。
もっともエイド間の距離がみじかい区間です。

物産館、という名前で、最初はピンときませんでした。
調べてみたら、太宰治の生家の前だったんです。
青森ゆうたら、太宰治。
旅ランで、ここを素通りしては、バチがあたりますもんね。

奇跡の予定通りの、午前6時前の津軽中里駅エイドの出発。
雨もすっかりあがって、7月の日差しがさきてきました。
急に、暑さの襲来です。

しかし大丈夫。
アタマは、しっかりと、かわいい「真知子巻き」スタイルで太陽には負けない。
おお、「君の名は」。
と思っているのは、たぶん、ボクだけでしょう。
どうみたって、夜逃げのコソ泥でしかありません。
気にしない。

これからは、南へ南へと進路をとり、弘前にむかいます。
おや、不思議、不思議。
だんだんと、また走れるようになってきました。
とはいっても、キロ8分台ですけど。

なにより、カラダが軽く動くようになってきました。
つくづく、朝型体質なのかなあ、なんて考えます。

ポツリ、ポツリ、とランナーの姿が見えるのも安心材料です。
ようやく、レースっぽくなってきました。

とはいえ、最後の10キロをきるまでは、展開は読みきれません。
いや、ゴールラインを踏むまでは。
決して急ぐな。
リズムをきざめ。
一歩を大切に。
くり返し、自重してゆきます。

この区間は、比較的平穏に観光物産館エイドに到着できました。
午前7時10分。
すると、目の前に、写真でたびたび見たことのある太宰の生家が。

さっぱりとしたソーメンをいただいたあと、スタッフの方にお願いして、その家の前で記念撮影
旅ラン」をたのしまなくっちゃ。
約10分の休息。

じつは、わたくし、太宰にのめりこんだことはありません。
あの作風は、あいませんでした。
堀辰雄にゾッコンでしたし。

四畳半フォーク全盛の時代に、ユーミンにゾッコンになるみたいに。
ですから、いがいとアッサリと、ここのエイドは通過できました。

うん、うん、いける、いける。
この先にはもう、大きな坂もないはずです。
と、思っていたら「まさか」という大きな坂が待ち構えていたとは。
(つづく)

 



自称「真知子巻き」ラン、しかるに単なるコソ泥オッちゃん。

 



太宰よ、「走れメロス」の力を与えよ。

 

たーさん
夜中じゅう 走るおバカの 青森路

 

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