アウシュビッツの図書係(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社)

アウシュビッツ=ビルケナウ収容所

 

ナチスによりポーランドに建てられたこの収容所は、強制収容所絶滅収容所として名をのこしています。
名前のとおり、ユダヤ人に対しての理不尽な強制労働を課す収容所であり、それが不可能なお年よりや子どもや病人たちは、そのまま抹殺されてゆきました。

しかし、ゆくゆくは、すべてのユダヤ人がガス室へ。
文字通りの、絶滅収容所です。

あまりの大量殺戮のため、銃では効率が悪すぎます。
そのため、ガス室におしこみ、チクロンガスを満たす。
そうすれば、ドラム缶1本のガスで、何百人もが一度に殺せるのです。

殺された人は、そのまま焼却処分されます。
そのために燃える火は、24時間、休むことはなかったといいます。

収容所の入所では、入り口でまず選別がおこなわれます。
右にゆかされるものは、強制労働へ。
左にゆかされるものは、そのままガス室へ。

強制収容施設ですから、ろくな食事は与えられません。
全員が、たちまちのうちに、ミイラのようにやせ細ってゆきます。
清潔な水もありません。
ジメジメとした床、トイレもない環境、夏はノミやシラミの大群、冬は凍りつく寒さ。
コレラをはじめとする病気の蔓延。

 


 

ディタ・アドレロヴァ14歳

 

チェコで両親とくらしていたユダヤ人少女ディタのくらしに、ナチスのプラハ侵攻が始まったのは9歳のときでした。
以後、両親とともに収容所を転々とさせられ、14歳のときにビルケナウ収容所に送られてきます。

ここには特別な家族収容所区域がもうけられ、粗末なバラックの中で子どもたちは昼をすごします。
国際監視団の目をごまかすための演出でした。
子どもを集めることが黙認されたのは、親たちがその間、強制労働させやすいからでした。

この中で、ヒルシュ青年をはじめ有志が、こっそりと授業をおこなっていました。
教室の区切りもない、教材も何もない場所です。
教師は小さな声でささやき、黒板もないため指で空中に文字をはしらせます。

そこには、本来あってはならない8冊の本がありました。
汚れ、こすれ、読み回され、ページのとんだのもあります。
しかし、そこには人類の知恵がつまっています。

そのためか、いつの世も、権力者は本をきらいます。
本をもつことは決して認められず、もし見つかれば殺されてしまう場所です。
その本の管理を、14歳のディタがまかされたのです。
14歳の図書係の誕生です。

 


 

本当に大切なもの

 

ひとはパンのみで生きているわけではない。
こういえるのは、生きる余裕があるときかもしれません。

生きてゆくためには、まずパンと水がなければなりません。

つねに空腹で、どんどんやせ細ってゆく体。
ノドの渇きとつねに戦ってゆかねばならない苦しさ。
うかつに、へんな水を口にすれば、たちどころにおこるモウレツな吐き気や下痢と腹痛。

こんな中で、本は、なんのにもたちません。
逆に、本をもっているところを見られたら、殺されてしまうところです。
病気も、なおりません。
この収容所に入ってすぐ、父親は衰弱がすすんで死んでしまいます。
死に立ちあうこともできず、あとはゴミのように焼かれてゆくだけ。
本は、そんな死刑執行人をうちまかす武器にもなりません。

それなのに、本にふれることで、子どもたちは世界中を旅し、歴史にふれ、数学のおもしろさに引きこまれてゆきます。
世界には、すべてに答えがあるわけではないと、おしえてもらいます。

ヒルシュは、こういいます。
「大人は、決して手に入らない幸せを求めて必死にあがくが、子どもはその手の中に幸せをみいだせる」

ときに本は、どんな靴よりも、遠くまで連れだしてくれる相棒。
小さな本が、子どもたちを、周りにあつめる。
絶望の中にいて、古びた本が、望みをつなぐ。

 


 

時はうつって

 

ヨーロッパに拡大したナチスも、やがて勢力にかげりがみえ始めます。
アウシュビッツの中では、さらにすすむ殺戮。
やがて残されたものたちは、ドイツ国内を貨物用の貨車で転々とはこばれます。

ディタと母が、最後に入れられたのは、ハンブルグに近いベルゲン=ベルゼン収容所でした。
もう、ほとんど水のようなスープしか提供されません。
弱ったもの、さからうものは、容赦なく殺されてゆく。
殺されるまでもなく、力つきて命をおとしてゆくものも後をたたない。

この収容所で、ある姉妹がなくなってゆきました。
最初は、チフスにおかされ、衰弱しきった姉マルゴットが息をひきとります。
翌日に、同じベッドで、妹のアンネが一人ぽっちで死んでゆきます。
遺体は、ゴミのようにつみ重ねられて、ほうむられてゆく。

何万人も殺された子どもたちの、1組でしかありません。
しかし、戦後みつかった妹の日記は、その後、世界中に翻訳されてゆきます。

 

 
ディタも、母親も、もう起きる力さえもないほど弱っています。
そのとき、収容所に、ようやく連合軍の兵士が入ってきました。
ついにおとずれたナチスの崩壊。

でも母親は、ついに解放されたのに、自由が手にはいったのに、元気をとりもどすことなく、そこで命を落としてゆきます。
廃墟と化した町で、両親をなくし、家をなくし、教育の機会も失い、救護所でもらった衣服だけが持ちもののディタ。

 


 

 

生きる力

 

しかし、そんな不遇の中にあって、ディタは生きました。
人の輪の中で、ひとりぼっちになったけれど、ひとりにならずに生きました。

やがて結婚もし、子どもももうけます。
相手は、アウシュビッツ収容所で同じ苦渋をなめた青年でした。

本書は、その本人に直接取材をしてまとめていった作品です。
著者は、ディタ本人に、問いかけます。
「なぜ、ひどい苦しみを背おっているのに、いつも笑顔なんですか」
「それは、私にのこされた唯一のものだからよ」
老いた今も、背せじをまっすぐにのばし、目をおおきく見ひらく。
疲れを知らず、いや、疲れていても、これと思ったことはやり通す。

「美しいものをものをみて感動しないなら、
目をとじて、想像力を働かせられないなら、
疑問や好奇心をもたないなら、
自分の無知に想いがおよばないなら、
単なる生きものでしょ」

フルマラソンのように重みのある、ガッツリとした本です。
力と感動を、いただけます。
まだまだ、走れます。

 

 
たーさん
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