むつかしさ
いねむりしながら走れたら、どこまでもゆける(はず)。
いねむりしながら走れたら、疲れも回復する(はず)。
まこと、安易で向上心のない発想です。
ただ、そういう可能性に関心を向ける、というがあってもいいかも。
まず、いねむりランニングとなると、意識をもたない走りです。
意識がハッキリしていたら、いねむりできません。
意識がない。
ということは、「無意識」ですね。
こういう安易な発想は、いたしません。
意識を「無」にするわけじゃありません。
「〜しない」というのは、楽でいいと思われるかもしれません。
たとえば、宿題に対して、宿題しない。
これは、たやすい。
明日の学校での修羅場は考えないでおけば。
お手伝いしない。
これも、たぶん、たやすい。
する、しない、という行為だけで考えればですが。
ところが、対象がチューショー的になってゆくと、そうは簡単にすみません。
たとえば、力をぬく「脱力」。
いろんな場面で、脱力の大切さはかたられます。
そのココロは、余分な力を入れない。
ところが、力が入っていなくては、姿勢が保てません。
立っていることさえ、できません。
ましてや、動くことなんて、とても無理です。
同様に、意識をなくすというのは、思ったいじょうにむつかしそうです。
ましてや、走っている最中にです。
無意識ではない、意識を消す方法はないものでしょうか。
思考の旅は、つづきます。
野球の記憶
話題の、切りかえ。
まだ30代だったころのはなしです。
職場は、大学からの派遣というかたちで、転々としていました。
ある年のある職場で、そこには野球部がありました。
秋には、地区の5施設の対抗戦。
年に1度の大イベントだったようです。
当時のわたくしの職場は、そこの万年最下位チームでした。
いつも、1勝もできなかったとのことです。
それは気合が足りないんだ!気合。
という流れで、わたくしもチームに参入するハメになりました。
といっても、ゴムボールに竹バットの経験レベルです。
最下位チームらしい、選手層の薄さ。
ということで、なんとわたくしがピッチャーに。
もう、1球投げるたびに、「おりゃ〜」とさけぶ気合投法。
その代わりに、打つ方はまかせましたよ。
大谷選手みたいな二刀流は無理です。
試合の中盤、2アウト走者1塁。
そこで、打順が回ってきました、8番打者。
まあ、ここで切れればいいや。
飛んできた球に、バットをチョコンと当てました。
ホントに、触れただけ。
軽く、ノックするような感触、手抜き。
打った打球は、レフト方向にあがり、ゆっくり1塁にむかってスタート。
レフトフライで、チェンジだ。
何が起こった?
ところが、ベンチがうるさい。
走れ、走れ。
まわれ、まわれ。
えっ、でもたかがレフトフライじゃん。
これでチェンジでしょ。
何気なく、ボールのゆくえを追います。
だだっ広い原っぱみたいな野球場です。
外野のフェンスみたいな高級なものはありません。
ずっと向こうまで、原っぱ。
レフトの選手が、向こうへ走っています。
えっ、レフトの頭を超えていた?
2塁ベースをまわって、状況がつかめてきました。
レフトは、まだ背をむけてボールを追いかけています。
そのあいだに、わたくしは、ゆうゆうとホームラン。
「すごい大飛球だ」
「大ホームランだ」
そういわれても、実感がわきませんでした。
たしかに、とんでもない距離を飛んでいったようです。
無風なので、風に乗るということはありません。
途中で、カラスがくわえていた、という目撃証言もありません。
わが生涯における、最長飛距離。
それも、ポンとバットをあわせただけなのに。
そして絶えて久しかった1勝。
打ち上げが盛り上がりました。
あのときの感触は、じつは今も残っています。
つながり
そうそうは感じることがない、不思議なカラダの感覚。
いねむりしながら走りつづけている感覚。
とんでもない飛距離をだしたバッターボックスでの感覚。
この2つに、共有するものがありそう。
あるはず。
それが、カラダの「つながり感」でした。
アシ先から、体幹、そして手指の先までつながった感覚。
それだけが残っているかのような感覚。
走りながら、たしかにそんなつながった芯を感じました。
バットもふくめて、一本の線がつながった瞬間。
その、つながったものは何だったのか。
太さはどうだったか。
張力があったかどうか。
伸びちぢみしたのかどうか。
そういう具体的なものを考えると、イメージがむつかしい。
これからの研究課題。
ただ、無意識にかわるものじゃないか。
つながり深し
いま、カラダのいろんな痛みに着目しています。
どっこいしょ。
年とともに、カラダを動かすさいの、フシブシの油のきれたような痛み。
ミシミシミシ。
いずれプッチンと切れないか不安な腰の張る痛み。
ギシギシギシ。
一歩一歩。足をつくたびに生じる膝の痛み。
イテテテテ。
ものをとろうと、腕をのばした瞬間に顔をだす肩の痛み。
これらの痛む場所は、カラダのつながりがうまくいっていないはず。
いたむ場所で、つながりがプッツンと、とぎれています。
西洋医学は、カラダの分析学。
基盤は、解剖学。
筋肉の数、骨の数も、しっかり区別して、分類します。
ところが、筋肉は単体で働いている場所は、ひとつもありません。
すべてが連動している。
手の指の痛みが、足の動きに悪影響、なんてザラです。
つながり人体学。
おもしろそうな分野だと思いませんか。
そして、いねむりしながら走れますように。
つながった 身体感覚 痛みなし
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)